I. 想像を創造する(Imagine to Create)
想像を創造する(Imagine to Create)というのは、私の造語です。 うーんと、最も深い意味っていうわけでもないんだけど。
想像(思う方)する、ああでもないこうでもないって想像したりとかするのは、結局、楽しいよねっていう。
んで、結局調べるっていう事が、うん、勉強だったり学習だったりとかそういうことになるのかな。 やっぱ作る(創造)っていうのは楽しいなっていうのと、まあ、人間の本質なのかなっていうところかな。
物を作る事って大事だよね。 イメージが行動を生み出すっていうの の連鎖があるって言うこと、それが楽しいって事。
II. それがないなら作ればいいじゃない
つまりそれは好奇心を持つこと、何でも興味を持ってやってみようという気持ちでいること、これがすごい大事だなっていうところから来てるんだよね。
物を作ることって思ったより奥深いからね。
私は作れないと諦めずに、じゃあ自分が持っている知識と今ある材料や道具で、何とか近いものができないだろうかと、なぜだか自然と考えてしまうんだと思う。もしかしたら人はこれを本能と呼ぶのかもしれない。
マリー・アントワネットさんはパンがなければ、ケーキを食べればいいじゃないって庶民に言い放ったらしいんだけど、それならケーキの材料でパンを作ってやろうじゃねえか!って気持ちになるのよね(諸説あるけど、ブリオッシュとかクッキーとも言われているらしい)。
それじゃあ、ケーキの材料でパンを作るにはどうしたらいいか。 まず、自分が持っている知識で何とかならないかを考える。それでも何とかならないとか、ここをこうした方がいいのかなということがあれば、調べる。
んで、調べて大丈夫そうだったらOKでやってみるし、できなさそうだったら別の手段を考えたり、もうちょっと深掘りするっていう感じ。そういった意味では、これも広い意味では勉強なのかな、と勝手に思ってる。
それに、現実ではケーキの材料で完全なパンは作れないけど、それでも何とかしてパンを作ってやろうって食い下がる気持ちではいる。
すったもんだあって、調べ物をしていると、目の前にはワクワクするものがたくさん転がっている。 ネットの海は、広くて深い。いろんな海流に乗って、情報が常に動き続けている。そして本には、いにしえからの知恵が鎮座している。だから、自分が調べたいと思うこと以外のアイデアもどんどん出てきて、知識が知識を生んでしまう。結果的に寄り道が多くなっちゃうんだよね。
もちろん、アイデアが出たからといってすぐに何かできるわけじゃない。 まずは、必要な道具とか材料で何とかする。なければ100均っていう素晴らしいところがあって、道具を安く買えたりとかする。いい時代になったよね。
そうやって、創意工夫することがとても大事なんじゃないかと私は思うのです。
III. お金がないなら節約すればいいじゃない
実際は節約の話ではないかもしれない話をします。
節約って聞くと、切り詰めるとか我慢するとかいうイメージがあるけれども、一番の助けになるのは知恵を絞ることなんだよね。
まず、一度にたくさん買うと安くなるという、小さい頃からの刷り込み。だから、小袋で買うのはなんだか損な気分になっちゃう。だけど、たまに小袋で買った方が安い時があるから、そんな罠に引っかからないように、いつも計算してから買うようにしてるよ。
それに、スーパーに行ったら必ずおつとめ品のコーナーを見たり、割引シールがついたものを隅から隅までチェックする。そこで「なんかこれ良さそうだな」と思ったものは、賞味期限が近かろうが、大量に買ってくることもある。
広告の品は、「あ、これホントにお買い得かも」と心の中がザワザワした時は購入する。昨今チラシはお店独自のアプリやチラシを専門に見れるアプリなんかもあって本当に便利になったなって感じるよね。
今ではネットショップでも訳あり商品が多く売られ、破格の値段で購入することもできる。なんならフリマサイトでは農家さんから直接訳あり品を購入できたりもする。
だけど、大袋や、おつとめ品、訳あり商品を大量に買っちゃうと、一気に何か処理しなきゃいけなかったりとか、賞味期限に追われるとか、保存場所に困るとか、そういうことが出てきちゃうよね。
自分で作る手間や、それにかかる時間、細かいことを言えば水道光熱費など全部計算したら、実は市販品の方が安くつくケースも往々にしてあるのは周知の事実。もちろんそれもコミコミで料理してることも多々ある。こんなんじゃ忙しない毎日を送る私たちにはタイパが悪いってやつの代表例になっちゃうよね。
だけど、そのタイパの悪さを「みんな見て!」って感じでLIVE配信をして、視聴者さんに笑ってもらったり、雑談したり、レシピを教えてもらったり、視聴者さん同士の交流もあったり……みんなで楽しい時間を過ごすことで、全ての悪いことを帳消しにしちゃいますし、できていると勝手に確信しています。
時には業者ですか?と言われる程大量のものを作る、いやむしろ、仕込むこともあって、LIVE配信的には見応えのあるものになっているのかなと感じます。
そういうのを人はエンターテイメントと呼ぶんだろうなと思っています。
せっかくやるなら楽しくやりたいよね。 作り置きをしたら、後のご飯の支度の時短にもなるし、作り置きをしたものをさらに違うものへアレンジしたりもできる。そんな風にして私の台所仕事は成り立っていて、昇華されていくのです。
IV. せっかくやるなら、異常なくらいがいいじゃない
とにかくたくさんの材料に向かい合っている時ってとても特別な気持ちになるものです。安く買えたというありがたみと満足感、目の前にたくざんの材料があるという背徳感。このたくさんの材料で何を作ろうかというワクワク感とやらなきゃいけないという自分で勝手に責任感をもってみたり、冷凍保存したいから冷凍しても大丈夫なレシピを考えたり調べたり、かといって結構行き当たりばったりで決めるのもまた良きかなとなってみたり。とにかく楽しくてたまらないのです。
これをみんなに説明しようにも、一種の興奮状態なのか、一つも説明できない複雑な気持ちなの。もしかしたらこの止められない衝動みたいなものを満たすためにやっているのかもしれないと思うほど。
せっかくやるなら、異常なくらいがいいじゃない!
あと、大量に何かをこしらえている時って、異常なほどの集中力を発揮するみたいで、例えばニコニコ生放送では何時間も放送しながら料理することがしばしばありました。自分でも「この料理に対する情熱ってなんなん?w」と笑ってしまうほどです。
長時間集中しているのに、料理ができると不思議と頭がすっきりして気持ちがいい。こりゃ一種の瞑想(メディテーション)とかマインドフルネスみたいなことかもしれないとポジティブに受け止めてるよ。
まず、レシピを考える時は、とにかく調べまくるに尽きます。そして、いいなと思ったらひたすらメモに書いていく。材料は足りるかな、これは何かで代用できないかな、どうしても必要なら買い足したりしてね。
その一連の流れの中で脱線した知識を得られたり、次にやりたいことに繋がって、とても素敵な時間を過ごしているようにも思えるの。仕事中にこんなこと考えてたらあっという間に仕事も終わるってもんよ。
そして、異常な量の作り置きをすると、結構いいこともあったりするんだよね。給食でいう「小さなおかず」の部分に困らないこと。日本の食卓でいうところの小鉢にあたるところかな。ちょっとあるといいよねってやつがいつもいる安心感。
毎日どうしようって考えなくてもいいのは、塵も積もれば山となるって感じで、じわじわと生活が楽になる感じがしたりしなかったりする。都市伝説みたいな感じでしか伝えられないんだけど、それでも「過去の自分あざっす!!」と声に出したくなる経験は何度となくあるから、自然と作り置きやっておこうと思う理由のひとつかもしれない。
また、メインのおかずに使うようなものをいっぺんに仕込んだ場合、そのまま使うも良し、形を崩して使うも良し、今日は何にして食べようかなー?って思いを巡らすのもまた一興じゃない。アレンジの幅も広がるし、逆に同じおかずが続いたりで諸刃の剣でもあるんだけど、またそれも一興じゃない。
まとめると、楽しんで料理しようぜ!ってことかな。
ちょっと想像してみてください。半狂乱のみーあ。さんが、大量の何かをこしらえているさまを。正直、訳が分からないと思うけど、なんだかとっても面白いんじゃないかなって感じませんか?
だけど、正直に言うと、この大量作り置きはめちゃくちゃ疲れるのw
でも、作業を終えた後に残るのは、充実感と気持ちのいい疲労感なんだよね。
そして、ライブ配信をすると、いつも見て笑ってくれる視聴者さんがいる。こんなに嬉しいことはないよね。
さあ、あなたも異常なくらいに夢中になっているみーあ。さんと一緒に何かしてみませんか?
「ソウゾウは止まることを知らない」を一緒に体験してもらいたいから。


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